2018年04月23日【第116回】財務事務次官のセクハラ問題と記者の矜持

 財務省・福田淳一事務次官がメディア記者にセクハラ行動を行った〝事件〟が、にわかにワイドショーネタと化してきた。あまりに下劣な福田次官の言動は、だれがどう見ても救いようはないが、一方でセクハラを受けた側のテレビ朝日記者の行動は、マスコミを大きく揺さぶるほどの事実を露呈している。ここではマスコミ側の問題点を掘り出してみよう。

 あらかじめ該当の女性記者からセクハラの報告を受けたテレ朝報道局幹部がまったく対応しなかったことはどうしてなのか。同記者は福田次官のセクハラを報告したうえで「ニュースとして取り上げましょう」と訴え出たにもかかわらず、テレ朝報道局はこの件を闇に葬り去った。

 4月19日、同局が深夜に開いた会見で「本人が特定され二次被害を受ける懸念があった」ことをその理由に挙げている。本当にそれだけだったのだろうか。「重要なネタ元ともめるな」、「波風を立てるな」といった意識が上層部に無かったといえるのだろうか。そもそも該当記者が社内で直訴したとき「二次被害を防ぐため」何もしなかったのに、なぜ週刊新潮に記事が掲載されたとたん、「二次被害を防ごう」とはせずに会見を開いたのだろうか。矛盾があまりにもハッキリし過ぎてはいないか。

 そして件の女性記者。自社内では取り合ってくれなかったので、ネタを新潮社に持ち込んだ。メディアの一線記者が週刊誌にネタを提供したケースは、過去に皆無だったといっていい。証拠物件として、福田次官との会話を録音した音源まで含まれている。あまりの驚きに開いた口が塞がらないマスコミ関係者も多いであろう。メディアに在籍する自身の位置を放棄したようなものだ。

 取材を行う体制が整備され、教育を含め記者を育成する報道機関は朝・毎・読・産経・日経の五紙とブロック紙、NHKだけ、と言われ続けてすでに半世紀以上。この間、民放各局は一体何をしていたのだろう。ニュースはあくまでも「絵(映像)」であって、朝毎読などと伍する取材体制の構築や記者一人ひとりの育成などハナからする気もなかった――とは言い過ぎだろうか。

 今、報道記者に矜持はあるだろうか。今回のテレ朝記者の一件は、テレ朝だけの問題ではまったくない。放送記者だけの問題でもない。今回の一件が大手マスコミの断末魔にならないよう、祈るばかりだ。